熱が高くてなんにも食べられない穂花は。
どうにか口に出来る純チョコをほうじ茶で胃に流し込みつつ。
ヤフーのニュースを読んでいたんだけど。
*体調がよかった頃、焼肉食べ放題に興じる姿。食欲がないといつも思う…あの日に帰りたい。
こんな記事があった。
「新出生前診断」ルール無視も 認定施設外でも検査 揺れる妊婦とその家族
西日本新聞 1/2(月) 11:25配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170102-00010001-nishinpc-soci
いろんな考えもあると思う。
それぞれの立場も事情も違う。
残念ながら…いつの世も。
遠い未来に至ってもこの設問に対する正解は現れないだろう。
穂花的な模範解答。
「胎児の障害の可能性の有無にかかわらず。
産むのか産まないのか、決定権は母親である女性とそのパートナーにある。
結婚と同様、妊娠・出産は極めて個人的なことであり、
すべては当事者の価値観によって決定されるべきである。
そこに第三者のある意味無責任ともいえる発言や意見で、
実際に産む立場の女性とそのパートナーが翻弄されることがあってはならない。
ましてや。
そこに社会や国家などの権力が影を落とすことなど言語道断。
胎児の障害の可能性の有無にかかわらず。
産む女性が望めば堕胎も出産も、
彼女の意思のみで自由に決定することを保障されるべきである。
産むのも産まないのも彼女の自由。
ただし。一旦産んでやはり子どもに何らかの障害が認められた場合。
産むことを決意した彼女が責められることがあっては一切ならない。
生まれた子どもと、母親になった彼女、そしてそのパートナーや家族に…
必要な支援は適切に与えられる権利もまた保障されるべきである。
それが真の多様化を認める成熟した社会のありようだといえる」
*メニューを熟読中。我ながら何を真剣に悩んでるんだか。
穂花に限らず。
こう思っていらっしゃる方はかなり多いのではないかなあ。
本来、子どもが生まれることは単純におめでたいんだよ。
どんな子どもであっても…
生まれてきてくれてありがとうといってもらいたいって。
それはこの世に誕生する子ども全ての共通の願いだよ。
穂花だって…もっと世の中に望まれたかったって。
未だに思うもの。
だけどまあ。
この世の中は理想論だけでは語れません。
生きていることは綺麗事だけではありません。
ましてや。
生命は全く平等ではありません。
社会もまた同じく、
生きていくための権利が保障されるような場所ではありません。
*自閉症特有の「逆さバイバイ」ならぬ「逆さピース」する穂花。
穂花は当事者としていつも思います。
「重い障害を負って生きていくことは本当につらくてしんどい」
*ちょっとインターバル。肉でいっぱいになったらドリンクバーで巻き返す。
穂花の実の両親はどうも、
穂花が生まれる前から何かしらのハンディキャップを負っているということについて、
知っていたらしいとのこと。
だけど当時は。
障害児が成人出来ることは今よりもずっとレアケースだったので。
両親も自分たちがこの子より先に死ぬことはないだろうという判断のもと。
医師の勧めも無視。
甘ったるいヒューマニズム(としか思えない)を先行させて、
胎児である穂花の中絶を選択せず、出産に至ったらしいのですが…
物事は予定通りにはいかない。
かくして穂花は重度の障害を生まれながらにして、
自身の拒否権ノーな運命として背負わされ。
一方両親は早死にしました…。
…以下略。
*チョー変顔。
今でもいつもいつも思います。
障害を負って生きていくことは本当につらい。
制度はいろいろあるけれども、決して現在の社会の仕組みには即していない。
人々の考え方の変化にもマッチしていない。
そんなわけで。
穂花は必ずしも自分が必要とする支援には結びつきません。
出来ることについては自分で責任を以てこなしたい。
出来ない部分についてだけ適切な助言や支援が欲しい。
そんな穂花のとってもシンプルな希望さえ。
現実には対応し切れないのが福祉の制度の本質です。
*次はもっと勝負したる!決意を込めて車椅子から立ち上がった穂花。
ヘンな話。
「何も出来ないと常に言え、出来ないんだと主張しろ。
そうすればもらいが多いんだ、損しないんだ」と。
おっしゃる専門家もいらっしゃるんだけど。
それもなんかものすごく違和感を憶える話だよな。
別に穂花は損得で物事を捉えたいわけでも何でもないんだけどさ。
*焼肉のあとは墨田区のスカイツリー付近を散策。
だけどとにかく。
正直…ハンディキャップを負って生きていることはつらいです。
死んでしまえば楽だけど、消えてしまいたいけど。
死ねないから生きているに過ぎません。
本当は…他人を助けることなんかよりもずっと。
他人から助けてもらうことのほうが難しいものです。
だけど。適示他人に助けてもらわないと生きて行けない穂花だから。
悩みは果て無く続いています。
助けを借りる上で…決して傲慢にならず、だけど卑屈にならず。
どう自分を保ち続けるのか。
48年間生きている今も正解は見つかりそうにありません…。
そして。
もしかしたらこれは障害のある穂花のような立場の人間だけの、
悩みだとはいえないのかも知れません。
現代は社会の構造も求められる人物像も、
一世代上の人たちが社会の中心を為していた頃とは、
大きく様変わりしました。
*THE ALFEEの坂崎さんと穂花アシスタントくんとを輩出した高校。
今は物事のプロセスよりもとにかく結果がモノをいう時代です。
一人ひとりの人となりよりもむしろ、
ただその人物の持つ生産性だけが評価に値するからこそ。
逆に生産性を持たない人間は不要だとされています。
そこは綺麗事じゃ語れないし。
だって、昔と違って…
社会においては「椅子取りゲーム」の椅子が激減し、
昔だったらそれなりに潰しが利いたであろうスペックであっても今では、
座れないようなヤツが一気に増えたから。
生産性に欠ける最たるものが障害者なんだろうけど。
だからこそ…起きるべくして相模原の事件も起こってしまったんだけど。
誰の心にもあのU容疑者と同じような、
人間に順位をつけて差別する想い、
役立たないもの=要らないものは殺してもいいっていう感覚は、
無意識のうちに潜んでいると穂花は感じる。
おそらく…穂花のなかにも。
人間は他者より優位に立つことによってしか、
心を保てない動物だから。
だけど。それは障害者に対してだけに限らない話だよね。
健常者といわれる人たちだって数少ない椅子の奪い合いをし、
足を引っ張り合い、ライバルを誹謗中傷し…
汚い手段を用いてでも生き残り、どうにかして椅子をゲットしたいんだよね。
*「ソラマチ」に売ってるクリーム鯛焼きを食する。
人間は霞を食っては生きていけないんだもの。
仙人じゃないんだから。
死ぬまでごはんを食べなければいけない…
ましてや結婚して所帯を持つだとか。
次世代を担う子どもを産み育てるんだとか…
そんなことが叶うのは今や一部の恵まれたブルジョアの特権。
そういうこの社会のどうしようもない閉塞感が、
生きていくことをさらにつらくさせる。
でも…すべては自己責任!
それが社会のもう本当にどうしようもないキーワードになってる。
障害のある子を産んだのも親の自己責任だと。
そう揶揄されてしまいがちだから…
子どもが欲しい親の苦しみも余計に増してしまいがちだよね。
*デート。はじめてウィッグをつけた日の穂花。
まあとにかくね。
障害を負って生きていくことはめっちゃしんどい。
穂花は未だに実の両親を許す気持ちには全くなれない。
*ショートボブも悪くはないじゃん、それなりにイケてる。
自身にこの果てしない苦しみを遺した責任者出てこい!と毎日思ってしまう。
*この日はウィッグ担当の美容師さん♀とデート。だけどバンダナ姿。
しかしながら。
案外この想いって…穂花だけのカルマではないのかも。
意外にも健常者のほうが苦しんでいるのかもしれないとさえ思う時がある。
*実は…彼が穂花の本命!?笑 東京タワーにて。
健常者には本当に一切の支援はなされず、
ひたすら自己責任!と罵られる人生だけが用意されているのだから。
*彼氏?にもアイスカフェオレを買い求めるも…
*両方飲み干してしまう穂花。ヅラもビミョーにずれているし…
*真の彼氏の手ブレショット。
*おもむろにヅラを直してるしww
そんな堪らない苦しみのスペクトラムを。
スルーできるラッキーなヤツはおよそこの世にほんの一握り。