ここしばらくずっとテンパっていた穂花は。

 

例のヌード撮影終了後、

まるで箍が緩んでしまったかのように体調を崩して。

 

ずっと寝込んでいます。

 

 

 

ベッドにミネラルウォーターと、

誕生日のプレゼント?にパパがくれたKindleを持ち込んで。

 

無料の官能小説を読む狭間に、

ニーチェの解説書を斜め読みして過ごしています。

 

 

…まあ。

穂花の知識なんて高校の「倫理」の域を超えない、残念ながら。

 

作家だから、

形而学的な難しい議論が出来るってわけじゃないし。

 

 

しかも、ニーチェの思想って嫌いな人も多いっていうよね。

 

ニヒリズム(全ての価値観の喪失)だのルサンチマン(権力に対する妬み)だの。

まるで中二病のようなヘタレ感たっぷりだしね。

 

 

でも…メンヘラ穂花にはこのニーチェのヘタレ感がしっくりくるのよ。

 

 

 

 

 

2017-05-11-山野草

*本日5月14日は母の日だから。お母さんになった年下の女の子に、彼女と旦那さん、そして二人の間に生まれた赤ちゃんのそれぞれの誕生花を詰め合わせてお届けしました

 

 

 

 

 

 

 

例えば。

「永却回帰(えいごうかいき)」とか穂花には堪んない思想だな。

 

 

 

 

 

一口にニーチェといってもね。

いろんな捉え方、読み方があると思うのですが。

 

穂花の考える「永却回帰」って以下の通り。

勝手な解釈を許してね。

 

 

世の中に起こり得る全ての事象は時と共に繰り返す。

 

同じことが全て何度も繰り返されて宇宙の歴史はあり、

人類の歴史もある。

 

そこに道徳も善悪に対する価値観も希薄だ。

なぜなら、その瞬間は善だと思えることも、

同じく悪だと思えることであろうとも。

 

永い時間の経過のなかにおいては、

善も悪も一瞬の価値観に過ぎず、さほどの意味も為さないままに、

事象の一端として流れ全てはまた繰り返されていく。

 

そこには正義も過ちもない。

ただ時間が流れて繰り返されているに過ぎない。

 

 

そういう仮定の下、

自分の人生の意味を問う時。

 

他人の目や価値観や、

つまらない規範に縛られる生き方にどれだけの意味があるんだろう。

 

 

それよりもむしろ。

時間は流れ、全てが繰り返し、

抗うことすら出来ないのであれば。

 

他人に振り回される生で自分を見失い、

後悔するくらいならば。

一瞬一瞬を正しい意味で我儘に、

自分の素直な想いに真摯に向き合って人生を全うしよう。

 

 

 

これが出来ればね…

 

これがそのまんま実行出来る穂花であれば、

まさにニーチェがいう「超人」の域ね。

 

 

超人ってどんな時でも「まあ、いいや」って思える人間のこと。

 

そこに自己否定の念は一切介在しないから、

もしも自分の想いを貫いて失敗してしまっても。

 

「まあ、いいや」と立ち直って、腐らずいじけず卑屈にならず…

 

永却回帰の途切れず流れ繰り返される時と事象の繰り返しのなか。

自分自身が本当は何をどうしたいのか。

 

見失うこともなく生きていける。

自分を見失わない超人は心が折れることもない。

 

他人の価値観や社会の尺度に振り回されず、

ただ自身の心だけが超人の生き方のコンパスだからこそ、

失敗は単なる経験であり、生きることそのものが超人の人生の目的。

 

他人の価値観に合わせた「生きる目標」なんて…

真の「超人」には一切無意味。

ただ自分の心に向き合いながら生きることが超人の目指す究極。

 

そこでぶつかる失敗も自身の決定上のこととして引き受けるから。

超人にとって、失敗は別に「失敗」ではない。

自己決定がもたらした事象としての単なる「結果」。

 

まあ、いいやと呟きながら。

さらにそれを超えて自分の心を貫けばいい。

 

 

 

 

 

05130001

*一方、体調不良な穂花ちゃんの本日の食事。冷蔵庫にあり合わせの有機野菜を圧力鍋で加熱、ミネストローネを作る。味付けはオリーブ油と塩だけ、これがまた体に染み渡る感じ。五分粥と佃煮、明太子を添えて

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いっぽう、

キリスト教(=道徳観)への回帰を主張するキルケゴールは。

 

――死に至る病、それは絶望である。

(絶望を回避する唯一の方法は神への信頼、キリスト教道徳観に基づいた秩序)

そう説いたけれど。

 

 

同じ実存主義でもニーチェは真逆だな。

 

 

自分の心が宙ぶらりんなまま生きていれば。

確かに…生きている感覚すら希薄になっていくだろう。

 

生きている実感すら得られない人生なんて絶望以下かも知れないよ。

 

 

――だけど意外とね。

 

社会通念から脱却し、

自分の想いを唯一の指針とする生き方を貫くって出来ない気もするな。

 

普通に出来ないことがさらっとこなせるから「超人」なのかな。

 

 

ニーチェやキルケゴールが生きていた時代のヨーロッパにおいて、

最も重い社会規範はキリスト教の教義。

 

それでも…時代が移り変われば、

キリスト教の世界観に矛盾も見え隠れしてくる。

聖書の教えが全てを説明出来ないことは一般ピープルにも見抜かれる。

 

まさに「神は死んだ」状態。

 

そして、永い時間が動いていく過程で、

キリスト教に代わる正義がまた芽生える。

それらの新たな正義も時間の経過とともに矛盾を生じ、綻び…

次なる価値観へとすり替わっていく。

 

 

幾ら新しい心の支えとしての正義を提議したとしても、

時間の流れとともに人々の想いにマッチしなくなり、

次の正義(規範)が提唱される…が繰り返される。

 

 

この正義の移り変わりこそが本当の永却回帰ってもんじゃないのって、

そんなふうにも穂花は思ったりするけど。

 

いかなる場合においても自分の心に素直に生きて、

自分の想いこそが自身の人生の羅針盤だと思える生き方は…

 

理想を超えないかも知れないけど憧れるな。

言い換えれば「ブレない」生き方の極意って奴かな。

 

 

――今の穂花は熱が高くって。

一番したいと願うことは兎にも角も安静…

 

…無為に時間をベッドで過ごしてる気もするけれども、

これも現時点で穂花の心が求めている最大の事象。

 

だから。

このままだらだら寝とこう、心の赴くままに。

もうすぐ…究極超人穂花ちゃんwwの域かな。