前田穂花です。
平成最後の日、町田はしとしとと雨が降る肌寒い一日になっています。
昭和の終わりを私は熊本(の下通のとある居酒屋)で迎えましたが。
三十年前の冬の日、崩御の朝を思い起こせばやはりこういうお天気でした。
ここでは深く触れませんが。
公私ともどもトラブルに見舞われ続けた私にとって、
平成の終焉はひたすら涙の記憶になってしまいそうな予感がします。
実際に…諸々の理由で私は昨夜から泣き続けています。
平成という時代の幕開けは、バブル景気の浮き立ったなかに在りました。
当時二十代だった私たちにとって、他人以上のモノを所持することが一番のステイタス。
留まることを知らない無駄遣い、消費&浪費が最高の美徳でした。
今では考えられませんが「丸井エムワンカード(現在のエポスカード)」は、
クレジットカードでありながら満十六歳から所持できました。
現在、例えば(預金残高内でしか使用できない)VISAデビットカードは、
高校生であっても所持可能ですが。
そうではなくて、バブル期にはクレジット機能付きのカードが未成年はもとより、
審査の結果、十六歳以上であれば高校生でも作れたのです。
余談。平成の初めに結婚した私の一人目の夫は当時まさか!の十八歳でしたが、
当然のごとく高校生の時からクレジットカードで(見境なく)買い物をしていました。
今思うと…デキ婚(今風に言えば授かり婚)でもないのに。
十八歳と二十歳が結婚して家庭を築くという、
めちゃくちゃなライフプランを計画できるほど。
好景気という背景が後押ししつつ、浮き立った空気のもとに。
平成という時代は幕を開けたともいえるでしょう。
まあ、好事魔多し。
きちんと結婚式まで挙げましたが…その後元夫に全てを奪われて穂花はリコン。
二回目の結婚も身ぐるみ引っ剥がされて失敗しました…
現状の穂花を慮れば子どもがいなかったことはむしろ救いではありますが(苦笑)。
ともあれ、そんなフワフワな考えであっても、生きられるほどに。
平成は景気がよく、若かった私たちは自分たちの未来にバカみたく夢見がちでした。
未来に対して夢を見られた私たちだからこそ、手持ちのカネなんぞなくても。
ローンを組んで不動産やらクルマを無計画に購入したり。
髪を流行のソバージュもしくはワンレングスにしておでこを光らせ。
眉毛はググッと太く描くのが当時のトレンドで。
丸井の「ボーナス一括払い」でゲットした、
二十歳そこいらの小娘には到底似合わない…
ハイブランドファッションの「勝負服」に日々身を包んで。
オヤジやら…単に自分が若い女性だというだけで、
複数抱えることができた「ミツグくん」たちに買っていただいた、
ヴィトンやエルメスのバーキンやら、
はたまたカルティエなどのブランドバッグを手にして。
考えてみれば…今以上に混雑していた通勤電車に揺られ、
いつか現れる「三高」な王子様との「A級(=永久)就職」を夢見つつ。
HANAKO族とも呼ばれた私たちは丸の内やら大手町界隈に通勤していました。
悪いジョークだとお思いかもわかりませんが。
公務員試験に合格した穂花も実は当時(まさかの)法務省職員でした。
若気の至りと言ってしまえばそれまでですが。
就職が叶った官庁街のオフィスで。
人生における究極の目標が「A級(=永久)就職」だからこそ、
男性の地位を脅かさないように可愛い女性を装いつつ、敢えて緩く「お勤め」し。
アフターファイブは赤坂見附や六本木辺りをうろうろできる自分の日常を。
私たちは過大評価し、これらは自分が優れているからできるのだと…
まさしく「錯覚」していました。
ところが。
平成三年の暮れにバブルは弾け、以降世の中は停滞し始めました。
経済的に停滞し、むしろ後退して貧しい社会に移り変わっていく中で、
私たちの心は荒れ、国内外には殺伐とした空気が充満し切ってしまいました。
富める人と貧しい人の差はどんどん広がり、
格差や人々の「階級」は日本社会全体を見事分断しました。
社会の分断は努力が報われないまま喘ぐ数多くの人々をさらに息苦しくさせました。
その息苦しさが要因となった幾つもの残忍な犯罪や凶行も、
私たちの脳裏に苦い記憶として焼き付いては消えません。
現在。
この国では「違うカースト」同士の人が交わり合うことを許さない空気が漂っています。
いや、異なる階級に生まれた時点で「知り合う機会」すらないといっても、
もはや過言ではないでしょう。
社会の方針としてきちんと「身分制度」が定まっている国や地域のほうが、
まだ息苦しくならないとさえ思います。
日本という国が息苦しいのは、法の下の平等という概念があり、
人間は全て同じであることが美しいとする大義名分が私たちを潰すからでしょう。
そもそも誰一人「同じ」ではなく、世の中は平等でも何でもないくせに…です。
世の中は平等でも何でもないくせに、
みんな同じ人間であり、同じように大切に扱われるという「ことになっている」から。
ひたすら粗末に扱われてばかりの私たちは、
このどうしようもない「ウソ」に息苦しくなるのだと思います。
ウソだらけの社会に裏切られ搾取され傷つけられて、
ボロボロにされている私たちだから。
苦しみの捌け口としての自分より弱い立ち位置の人間をさらに傷つけてしまいます。
もしかしたらこの社会全体がまるで、ちょうどイジメを容認する、
学校の教室といった狭い箱に「なり下がって」いるのかもしれません。
浮かれ切った平成時代のスタートに二十歳だった穂花は、
二度の結婚と離婚、養子離縁、
そして人間関係の構築の失敗や挫折を繰り返し…
何十回も精神科病院に入退院を繰り返して。
重い病気を次々に患い、
瞳孔が開く経験を二度も味わったほど重篤な病状に陥って。
挙句の果てに誤診&医療ミスによって障害を負い、
車椅子が常時必要な身体になって…
平成の終わりの今、私は五十代を迎えました。
平成という時代は、日本社会そのものが「転落」に遭ったと考えてもいいでしょう。
国全体が堕ちていくなかで、ささやかな希望すら削がれもぎ取られ、
その日の暮らしを維持することだけで必死になり。
全てを奪われた私と。
奪われ軽んじられ貶されて何の夢を見ることも赦されず、
涙のなかに新しい時代を迎えるしかない全ての人のために。
単なる気休めでしかないにせよ、こう祈らせてください。
明日から始まる新しい毎日が、
せめて…私が最後まで「私」として生きられて、
あなたがずっと「あなた」のままいられますように。
新しい時代に、真に自分が「自分」のままでいられる社会、
自分のまま素のままでいる自由がきちんと承認され得る日本が実現しますように。
前田 穂花