…前のブログ記事をチェックしていた知人が、
穂花ちゃん、あんな過激なことを言って大丈夫なの??ととても不安がっていたから。
補足も兼ねて新記事をアップするよ。
ここで挙げているのはあくまでも穂花の持論ね。
全てのハンディキャップを持つ人、社会的弱者、
そのほかマイノリティーがそう同じように思っているわけではないよ。
むしろ障害者ってこういうもの、
…ってステレオタイプな視点で決めつけるほうが余程「差別」。
それでも。
これまで穂花のような重度の障害者が自分の言葉で発信する、ってこと自体稀だった。
インターネットが普及した平成の御世に感謝する。
あまり見る機会もなかっただろうし注目もされなかった障害者のナマの声を、
ここにアップしておくだけでもそれなりに意味があると穂花は考えているから。
まあ、とにかくすべて穂花の持論。
ご意見等ありましたらコメントを残しておいてください、
極力誠意を以て社会通念上可能な限りお答えいたします。
ここから本題。
よく言われることが「障害者」という穂花の使用する表記自体が「差別」なんだって。
正確には「障がい者」と記載しないと気分を害する方が多いんだと…。
よくわかんないんだけど。
少なくとも穂花の周囲にいる障害当事者は、
穂花含め全員「そんなのどーでもいいじゃん」。
まあ、考え方は人それぞれだからなかにはナーヴァスな方もいらっしゃるんだろうけど。
どーでもいいじゃん、というのがおそらく障害を持つ当事者のマジョリティー、
つまり多数意見だと思う。
マイノリティーのマジョリティー…おかしな話だけどね。
そんな言葉の些細な問題より、
本質的にどうにかしていただきたいことはいっぱいあるから。
なんか表記の細かい点を、
まるで重箱の隅をつつくみたいに扱うことによって、
問題の本質を誤魔化しているように思えないでもない。
例えば、障害者は皆天使みたいだと比喩する人がいるよね。
障害者はみんな純粋で汚いことを知らないと…。
あんなカンジ、障害者も健常者同様、
狡い人もいれば悪い人も、意図的に他人に迷惑をかける人も多数存在するんだよ。
それを「天使」だとすることによって障害者を一把一絡げにし、
障害者の真実を社会から見えにくくしているのと似ている。
障り=壁になることも、
害=不都合なこと、不便なこと、困ること…も、
本当に本当にいっぱいあります。
障害者の本来の日本語的な表記は「障碍者」だと言われているけど、
碍=妨げになること…という字の意味を「障」も「害」もかなり、
近いニュアンスで言い表しているんじゃないかな。
マジで障りになることも害になることもめっちゃある気がするんだよ。
少なくとも、歩けないから車椅子に乗っていて、
失禁しまくりだからおむつを使うことも多く、
書き言葉ではすごく難しい抽象的なことも理解出来るにせよ、
話し言葉ではまるでふざけているみたいに何にも理解出来ないとキテる、
重複障害者の穂花ちゃんだから。
そもそも。
どんなにがんばってもだな…努力しても「普通」になれないから「障害」者なのよ。
努力を以て克服出来ることは「障害」じゃないから。
なんか…そう言ってしまうとそれはそれで誰しも障害者だとも思えてくるけど。
これはこれで含蓄のあるテーマかも知れないよな…。
もうちょっと構想を練ってだな…。
穂花なりに考えがまとまったらこのブログで改めてお話ししてみたいものだよ。
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