その後、報徳佐野農園の佐野繁彦さんより早々のお返事を頂戴しました。

秋田の冬の大地を彷彿とさせる力強い肉筆のお便り。

大地を覆う根雪をも溶かすような熱い想いが逞しい男性らしさをを感じさせる、

達筆且つ筆圧のこもった文字で綴られています。

 

 

穂花もお便りしたいと思います。

 

 

 

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*ユーミンの「中央フリーウェイ」に出てくるビール工場でのショット。

 

 

 

 

佐野繁彦様

 

実りの秋。

農業に従事されていらっしゃる方は、まさに今が一年中で一番の繁忙期でしょう。

そういうお忙しい中、手書きの温かいお手紙を本当にありがとうございました。

私も今、連休明けまでに5本の原稿のライティング案件を抱え、かなりアップアップしています。

 

それでも。車椅子に乗っている自閉症のがんサバイバーの私に、こうして働ける場所が与えられ、社会に役割を担って必要とされることは、もうそれだけで感謝に値するのだと感じています。

 

 

 

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*体調がイマイチでプレミアムモルツが飲めない…

 

 

 

 

佐野様のお便りのなかの「仕事や奉仕は一見他者のために行うようなものだと考えられがちだが、実は自身の成長のため、人生の修行のためにあるのだ」という一文に、さらにその想いを再認識いたしました。

 

 

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*昔のサントリー?ビールってこんな感じで作ってたらしいです。

 

 

 

 

 

手前味噌なお話ではありますが、私は一日当たり平均で一万字~一万二千字程度の文章を執筆します。

原稿用紙に換算すれば25~30枚程度の量です。物書きとしてもかなりハードなペースです。

しかも…それが実際に記事や小説として皆様の目に触れる部分は1/3程度。あとは単なる習作です。

 

 

効率の悪い仕事のやり方ですが、気に入った自分でも納得のいく文章が書けるまで、何パターンも似たようなものを書いてみるので。

 

 

 

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*ご許可を得た上で、ご案内係のキレイなお姉さんのお姿を撮らせていただきました。

 

 

 

 

 

他の物書きの方からは「アタマ悪いんじゃないの」みたいに言われることも多いのですが、プロとして対価をいただく以上は、適当なものを納品したくはないのです。

 

 

その場は仮に凌げたとしても、そういうことはいつか積もり積もって自分に跳ね返ってくると思うので。

職業人として恥ずかしくない仕事を全うしたいと常に希います。

 

 

 

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*そのまま…なんとなく海を見に。

 

 

 

 

私は妙に古臭い人間だともいわれますが。

本当に大切なことはいつまでも色褪せることを知らず、いつしか真理というものに姿を変えていくのだと思います。

 

 

 

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現代はともすれば巧く立ち回れる人間だけが優秀だとされ、必死に努力する人は馬鹿な奴だと笑われる傾向が強いように感じます。

 

でもそうではなくて、例え芳しい結果が出せないんだとしても、がんばったという事実や過程をもっと評価される世の中になってくれればいいなあと希っています。

 

 

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…そもそも人間の生命も軽んじられる今の時代。

車椅子に乗っていて、自閉症のために書き言葉ではとても抽象的なことがきちんと考えられるというのに、喋り言葉においては相手の言うことの半分も理解出来ない障害を負っている私は、何かにつけ「あんな子、生きていて何が楽しいんだろう」といわれがちでした。

 

そう言われ続けるうちに、私自身「自分なんていてもいなくてもいい奴なんだ」と思い込むようになり、果てには「私は社会に役立てないゴミだ、極潰しだ」と、そういう厭世的な想いに常に付きまとわれるようになりました。

 

 

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*なんとか立ってみたぞ。

 

 

 

 

 

 

もうすぐ50歳になりますが、その感覚というのは未だに染みついて一生払拭出来ないのかと思うほどです。

 

 

だけど、人間の真の優劣って本当は何で決まるのでしょうか。というより…ダメなところもいいところもあってこそのパーソナリティでしょう。

 

 

 

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そういう仮定で考える時に、そもそも人間に「優劣」ってあるのかとさえ思ってしまいます。

 

 

 

人間の生命の値段は異様に安く、人間の労働は非常に安く買い叩かれるのが今の日本の現実です。

 

 

すべては効率の良しあしで判定され、職を得て結婚し、子どもを産み育てようと願っても、社会はまるで椅子取りゲームのようで、しかも椅子の数は絶対的に足りない。

 

子どもを持つことはブルジョアな層だけに許される道楽なのだと、二十代の若い友人どもはそろって口にします。

 

 

 

 

未来ある若い人にそう絶望させる社会の現実って、本当はどこにその病巣が隠れているのか。

 

こういうことばかり思うと、もうあまり人生の時間も残っていないであろう私のようなオバサンでさえ厭世的な気分になります。

 

 

 

 

私はただ叫びたい。

ずっとあなたがあなたのままで、私が私でいられますように。

 

 

 

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2016年10月4日朝

穂花 拝