昨日もまるで世間にケンカを売っているような、
過激なことを申し上げたばかりだけど。
せっかく…障害の等級的には最重度の判定を下されている穂花が、
自らの言葉で語るブログだ。
この一年、
もっともっと持論を展開しまくろう。
もはやどう思われてもいいのだ、受け止め方は人それぞれなのだし。
――知られないこと、存在すらなかったことにされること。
それは私という人物に対し、
敵意を抱かれるのよりもずっとつらい。
あくまでも持論なのだと前置きして、
最低限のネットリテラシーを遵守しさえすれば、
私は自由だ。
発言する。
よく受け止められても、逆に憎まれても。
どちらでもいいんだ、私の言葉を叩き台にして…
障害者の本当の想いについて、
世の中の皆さんがもっと関心を示してくだされば、
それ以上の喜びはないよ。
いないことにされることが一番悲しいのだ。
このブログ。
本当はSexual educationつまり性教育が真のお題なんだよ。
だからね。
本当は車椅子ユーザーの自分がどうやって一般の男性と性交渉するのか。
どうすればセックスを愉しむ境地に至るのか。
あるいは。
婦人科の病気を経験し、
手術によって内性器をほとんど失った私のジェンダー。
言い換えれば私自身の女性性が、
本当はいったいどこに存在するのか。
そこまで踏み込んでお話しするのが理想であり目標でもあるんだよ。
でも。
まだ…闘病生活が終わったわけでもなく。
女性としてのパーツをすべてを失ったことに対する、
喪失感からも一切立ち直れてはいない私だから。
心がまだズタズタ。
何も受容出来てはいないから、
それらのテーマについてお話しする心境には未だなれない。
ごめんなさい。
悪いけど…官能小説の執筆は単なるカネのため。
それら…私自身の真実をお話しすることこそが、
本当の私にとってのライフワークだろうと思う。
商売としてエッチな小説を書いている私だからこそ、
本来タブーとされることであっても、
オープンに語れる部分もあるだろうし。
だけどまだすべてはトラウマでしかないから。
せめて。
もうちょっと強い私に生まれ変われる日が来るまで。
現状は障害者としての穂花の想いを。
汚い部分、いやらしい側面もすべて晒しつつ、
世の中に提示し、問題提起していきたいな。
それが。
それこそが障害を負ってこの世に生まれた自分に課せられた、
社会への唯一の貢献なのだと痛感する。
うまく言えないけど…
よく障害者はみんな「天使ちゃん」だと、
そう比喩する方々がいらっしゃるけど。
障害者であってもそれぞれ違う。
健気に真摯に生き抜く人もいる一方で。
障害があることを過剰にアピールし、
それによって度の過ぎたサービスや支援、
さらには社会からの同情や哀れみを得ることで、
自己満足したいという輩もいる。
みんな違うのに…
一羽一絡げにして「天使」と比喩することこそ欺瞞だと思う。
天使だとすることが逆に差別を誘発してるし、
障害者をめぐる問題の本質を見えなくさせている。
まずは何が問題なのかはっきりさせたい。
そのためにも穂花は正しく怒ろう。
社会に対するもやもやな閉塞感を怒りとして正しく主張し、
自分の内面も併せて正しい方法で真の問題点を洗い出してみたい。
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- 真面目な性と生のはなし, 障害者